延べ2週間をかけて先週、TIAAの一次審査・二次審査を終えました。
一言に作品といってもサイトやらバナーなどいろいろあるのを考慮して、一作品見るのにかかる平均時間を想定し、“100%審査モードの時間”を多めに見積もったところ、24時間あれば十分だろうと踏んでたんだけども、実際のところ、その数倍はかかってしまった。

というのも、ウェブにおける広告の構造事態が複雑になってきていて(って別にいまさら言うことでもないけど)、いろんなコンテクストがある中で、その作品がユーザーにどう伝わって、どう機能したかなんてことを妄想していると、それはもうとんでもない時間がかかってしまうわけですよな。

もちろん自分の中でかっこたる審査方針は立てたものの、いわゆるザ・ジャパンウェブ2007をいっきにばーっと見てると、最近思ってたことと相まって、なかなかその審査方針も揺らがざるを得ない状況に陥ってしまうわけですよ。

簡単な例だと、
・表現的な完成度は高いけど、なにが言いたいかわからないもの。
・表現的な完成度は残念だけど、めっちゃ伝わってくるもの。
とかとか。

さぞかしユーザーの心に届いたであろうコンテンツも、開発レベルでの精度が甘いとはたして受賞していいものやらって思うし、めちゃめちゃ作りこまれていて精度抜群だけど、パッと見なんか意味がよくわかんないなんてやつが受賞してもそれもなんか違う。

なんというか、ユーザーの心を動かすのって当たり前に難しいことで、そもそも広告コンテンツなんて、完全シカトされてもいいものをわざわざご覧いただくわけだから、言いたいこと言ってるだけじゃなくて、なにかしらの感動を与るもんでないとダメなわけですよね。
「おもろい」でも「かっこいい」でも「きれい」でもいい。
それって、ものすごく難しいことなはずで、そこにクリエイティビティの最もコアな部分が詰め込まれているべきだと思うですよ。

一方、開発レベルでの精度なんてものは、高めて当たり前の話で、もちろんセンス云々の話はあるものの、努力する/しないで左右する、ある種のボーダーライン的なものは確実に存在していて、明らかにそのボーダーラインに達していないものとかを目の当たりにすると、それがどんだけおもしろくて、クールでクレバーな企画であったとしても、なんか単純に面白くなくなるわけです。

今ウェブ、勢いいいぜ。ほっといても仕事くんぜ。って適当なもの作ってばっかいると、“インターネットはしょぼい。つまんない。けど便利”みたいな役回りになりしないかとひやひやもんです。

マス4媒体と呼ばれるものがエンターテイメントを主、広告を従として成り立っているのに対して、ウェブにおけるエンターテイメントと広告の比率ってどんなもんなんだろ?

「ウェブで広告をうつ」という需要は伸び続けていくんだろうと思うけど、あんまつまんなものばかり作ってると“電話番号一覧に対して、邪魔でしかない広告が氾濫してる”というタウンページ的な立ち位置になってやしまわないかと不安にかられるのは否めない状況です。
なくてもよくね?とか思われると寂しすぎ。(まータウンページの数千倍便利だけど。)

どうせ広告作るんなら、ユーザーにちゃんと伝えるなんてのは最低限クリアすべきラインで、それに加えてなにかしらの感動が得られるようなものを作るように努力しないと今おもしろいこの仕事もどんどんつまんなくなっていくような気がして怖いんです。

いや、知らんけど。


別にTIAAに応募された作品がダメダメだったって話じゃなくて、素晴らしいと思えるものがたくさんありました。
ただ、本書いたり、審査したりしてるうちに悶々とした感じが蓄積されてきてたので、このくそ忙しいタイミングで、敢えてオレ神様目線で書き捨て。

ノーマル目線で言うと、
「もっとしっかりしやい>自分」



Comments (7)

WEBは広告だけって訳じゃないからWEB全体に対してクリエイティブ至上主義を展開するのはちと危険かなぁって思う。
マスではあるけど権威主義の閾値の無いマスであることが既存のマスと違うところで、そこが良いところでもあると思うデスよ。
ま、広告系WEBに関してのコメントであることを承知してはいるんだけど。

あ、最後に
いや、知らんけど。
を書くのを忘れた。

あーごめんなさい。東京インタラクティブアドアワードの一次・二次審査を振り返っての悶々なんで、もちろん広告系ウェブに関連する話でした。

たしかに既存の媒体とは確実に差別化された良さはあるし、すばらしいと思うし、好きなんですけど、“誰でもなんでもできる”って土俵は同時にノイズに侵されまくる可能性を許容してるってことで、少なくともプロとしてコンテンツを作ってる人はちゃんとしたコンテンツを作らないとなーと思っています。

かなり漠然とですけど、ウェブ広告は多少質が低くてもおk的な空気が流れてるような気がしてて、本気で誰に見せても恥ずかしくないクリエーションっていうのは実はすごく少ないと思っています。

変な話、たとえば、既存媒体で活躍する花形制作者とガチでものつくり競争しろって言われてビビらないで闘志むき出しにできる人ってどんだけいるんだろうか?とか思ったり。

まー精度の高低とは別軸で、コンテンツの持つ味とか、独特の良さ的なものは確かにあって、それらのグラデーションがあるからこそ、ウェブ全体がバランスよく成立するってのはあるんだろうなーって思っています。
10点ばっかりだとそれはもう10点じゃなくて、2点とか5点とかある中の10点だからこそ10点たりえるわけで。
ただ、プロとして広告作る人は5点6点のもん作ってないで、最低限8点以上は取らないといけないとダメな気はしてます。

広告としてのウェブってのは確実に重要視されるようになってて、確実に一般層にも浸透しつつあるのに、その人たちを自信もって招き入れる体制整ってなくね?まだ試行錯誤中なんでどうか寛容に受け止めてください。よかったらみかんでも持って帰ってください。なんて言い訳できなくね?って思ってます。

まー個人的には、仕事以外でネットにふれるのは、いわゆる情報収集のためのツール的な使い方がほぼすべてで、純粋にYouTubeやニコ動的なものにどっぷり時間を割くことがないので、偏った意見には変わりないのですよね。

いや、知りませんけど。
とりあえず再びオレ神様目線でマジレスです。

まとまってなくてすみません。
つまり悶々です。

ちなみに「悶値(もんち)」は渋谷の若手のやり手プログラマーが本気で口にしてた恥ずかしい勘違いから来ています。

>本気で誰に見せても恥ずかしくないクリエーションっていうのは実はすごく少ないと思っています。
す・・スイマセン(汗

>ただ、プロとして広告作る人は5点6点のもん作ってないで、最低限8点以上は取らないといけないとダメな気はしてます。
その点数を決めるというある意味権威的な視点でWEBの世界を判定することに違和感感じてます。既存のマスの場合テレビ局、出版社やら世に出るための必須フィルターが判定するっつーのは仕組みとして止む無しというのは理解できるのだけど。

じゃWEBの場合何のために審査してるんだ?と。啓蒙、周知的な視点に対してはバイラル(死語?)効果に重きを置いて展開しているWEBにおいて、ユーザ除外の審査基準の意味とは?みたいな。(誰も知らないすばらしいサイトを知らしめる?)

ただ、神様目線を持つ分かり易いアイコンがあった方が世の中的(既存マス視点)では理解しやすいというのは理解できる。

オデも先日とあるアワードの審査員したとき(今まで色々断り続けていたけど、それは趣旨に少し共感できたので引き受けたんだけど)に、審査しながらオデの視点で点数つけることの意味はなんぞな?。と言うことを考えておりました。じゃ数値的にきちんとした判定基準を作って判定すればみたいな話ですが、それだと技術大会になっちゃうしね。

で、結局そういう審査員もあまりにパーソナルに偏らないために複数人存在していることを考えると、統計的には整理しやすいように母体を抽出して平均取ってるだけのような気もして、それって結局不特定多数からの声を処理するのが手間だってだけの話じゃない?(いや、まぁそのジャッジへの責任論もあるけど)じゃその母体の抽出方法はなに?みたいな・・。(わかりやすいのはWEB経験年数?ップw)

そういう意味では審査員がどのサイトに何点をつけてどう評したか?が全部出ればそれはそれで意味が見えてくるんじゃないかしら?と・・。(審査員も審査される訳ですが)

本当のユーザ視点で、近所の八百屋と三越を比較してジャッジして統計っつーのは無理なんじゃないかと・・。(まぁアワードに応募するのも金額やら色々ハードルはありますが)

「すばらしい」という言葉の意味と、その言葉で作為的に何かをコントロールしようとする権威主義的な影にぼんやりとした違和感を感じる今日この頃であります。

いや知らんけど。

もう飲み屋で話すようなグダグダな内容でゴメン。っつーかしばらく会ってないね。Adobeのアワード以来かいな?

いや知らんけど。

あ、でも選ばれたサイトは素敵だし、勉強になるデスよ。で選ばれたりしたらうれしいのはうれしいw

いや知らんけど・・。

悶々・・。

バタバタしててレス遅くなりました。ごめんなさい。

ややこしくて、すみません。5点6点ってのは審査のときの点数じゃなくて、いわゆるウェブ上に存在するコンテンツとして、いろんなコンテクストを踏まえたうえでの総合点みたいなもので、その点数をひとつの物差しで測るのは到底無理なことだと思っています。
おっしゃる通り、デパートと八百屋は同じ物差しじゃ測れませんってことです。
広告コンテンツってそれぞれが持つ役割が多様にあって、要はバナーとコーポレートサイトを同じカテゴリーで審査することはできないですもんね。

TIAAはその辺のカテゴリーがそこそこ細分化されてて、比較的審査しやすかったです。
たとえば、クロスメディア展開してるキャンペーンが、たとえば複数部門にエントリーされてたりする場合、カテゴリーAでは高得点だけど、カテゴリーBでは点数低くしたりできるわけです。
まぁ当たり前の話ですが。

ただ、僕がTIAAで広告の審査をするうえで、一貫してあるのは、広告的に機能的(そう)かどうかってところで、実際に得られた効果については実はそんなに重要視されてない傾向にあるかもしれません。
もちろん一次・二次審査では審査員個々で考慮に入れながら審査をしてるとは思いますけど、そもそもエントリーフォームに「効果を明記し、それをデータで実証せよ」的な項目はないわけなので、その時点で偏った観点での審査が始まってるのかもしれませんね。
自主的に効果を明記してる作品もありますけど、その信憑性は定かではないです。

でも広告賞にもいろいろあって、そのそれぞれが特色を持ってるので、それはそれでいいと思っています。

僕自身、TIAAは今年が初めての審査で、本審査でどういう議論が交わされて、どうやって作品が選ばれるのかはまだ分からないですけど、少なくとも日本の広告クリエーションのひとつの在り方的なものは提示できてると思います。
この賞の存在があって広告業界自体が盛り上がるということも実際あるでしょうし、クライアントが変に広告賞を意識するって話も珍しくないですし。
その善し悪しはおいといて、そう意味では、広告推進協会は、広告業界を推進させてると思っています。ある観点では。

個人的には、TIAAは完全なる内輪イベントだと思っています。そういうのがあってもいいと思っています。別に誰にも迷惑かけないのなら。
もちろん広告賞取る作品が○で、とらない作品が×ってのはもちろんおかしな話で、いわゆる広告賞取らなそうな作品だけど、めっちゃ素敵やわーってのいっぱいありますもんね。
逆に広告賞取りそうやけど、おもろないわーってのもあるかもしれませんし。

あと、受賞すると営業ツールとしてわりと分かりやすく機能することでしょうか。
いわゆる賞取りコンテンツなるものはこの辺が所以だったりするんでしょうかね。

ちなみに実際、効果をものすごく重要視した広告賞も国内にあるらしいです。名前は忘れちゃいましたけど。


どうでもいいかもしれませんけど、TIAAにおける僕の審査方針は、まず技術ドリブンなものはかなり疑ってみるようにしました。
あとプレゼンムービーがやたらよくできてるやつも警戒(笑)しました。
というか、いきなり作品をばっとみて、笑うか笑わないか。鳥肌たつか立たないか。ってところを一番重要視してました。
そのあと、その作品がどういう目的でどういうコンテクストで展開されていたのかを見て、納得いけば点数いいし、納得いかなければ点数悪い。
という、いたってシンプルな感じです。

なんか、ちょっと時間たっちゃって、何が書きたいのかもわからなくなってきましたけど、そんな感じです。

いや、知りませんけど。


ほんと最近お会いしてないですねー。
また飲みにでも誘ってください。
てか高津組にもお邪魔したことないですしね。

社員が一人増えたので、ご紹介がてらお邪魔するかもです。仕事落ち着いたら…

>仕事落ち着いたら…
多分永久に落ち着かないと思うな・・
俺もだけど・・。

PS
「この情報を登録しますか?」にチェックを入れているのに登録されず、毎回入力しています。何とかしてくださいw

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